


第二部の基調講演は、ブックデザインの第一線で活躍するミルキィ・イソベ氏が『「今を変えるデザイン」 ~変わりつつあるクライアントのニーズ~』と題して、本というメディアの特徴や、本を取り巻く環境の変化について語りました。
まずミルキィ氏が紹介したのは、自らデザインした現代美術の本。この本は、ケースに2冊が収まる形態をとっており、1冊はアートを目で鑑賞する、そしてもう1冊は文字を読みながら考えるという構成になっています。この2冊の内容は相互にリンクしていて、それがわかるようなデザインになっています。そしてミルキィ氏は実際に本を手に取りながら、「本は思考と内容に対して数多く、深くキャッチボールできることが本の魅力です。手に取って持つことで(読者の身体と本との間に)空間ができます。この空間内には、思考時の電気的な流れやたんぱく質の合成などの実質的なエネルギーが存在しています。そのためこの空間から、人はいろいろなものを得ることができます。パソコンのモニターとでは、まだこれができません。」
さらに紙の本には、どこへでも持ち運べて、電源も要らず開くことができるという特長があります。
「本はどこへでも持って行くことができます。開けば、そこに世界が作れる。手で実際に触っている本に魅力があるのです。コンピュータとソフトを利用して、ペーパーレスの仕事をしていますが、出来上がるものは質量のある物体です。立体物であることが、本の特性なのです。」
ミルキィ氏は、読者が本を手に取って読んでいるときの空間を意識してデザインをしています。そして、読者との間にどんな空間をが作られるのか、そのことでどんな読書体験ができるのかということについて考え続けています。本のデザインには「まだまだできることがある」と言います。
例えば「戻りにくい製本」。本のページをめくっていると、開きにくい、そしてすぐにページが勝手に戻ってきてしまうというケースが多々あります。読者はどこかで、これを仕方ないこととして諦めているかもしれません。ミルキィ氏は、紙や製本方法の組み合わせによって「手を離しても戻らない本」にするといった工夫を行っています。「ページをめくりながら読者はいろいろ考えています。ページが勝手に戻ってきてしまうといったようなことを気にしないで読めたほうが楽しい。」
ミルキィ氏は、手触りにもこだわります。段ボールに使われる紙を、ケースや本文に採用することもあります。「段ボール等は印刷に向かないし、なかなか乾かない、そして痛みやすい問題児なんです。しかしそれもメッセージなんです」とミルキィ氏。経年変化も紙の本の魅力のひとつと考える。「安い紙でも、デザインによって、内容や魅力が伝わるようにすることが可能なんです」と。


ミルキィ氏は「最近、書店から返本されることを意識した装丁を求められることがある」と話します。そこで求められるのは、痛みにくく効率が良い製本です。少なくとも本としての魅力を追求しているとは考えにくいものです。ミルキィ氏は、次のように問いかけます。 「ふつう、商品だったら工夫しますよね。」
家電製品でもアパレルでも、もっと使いやすいように、売れるように、常日ごろ工夫がなされ、進化しています。
「でも本は、確かに変わってきてはいるけれど、まだ頑張っている感じはしないですよね。本には、まだまだ考える余地があります。編集者が、制作者が、営業が……本のことを積極的に考えたら本の魅力をもう一回引き出せると思います。ちょっとした冒険で、本は新しい魅力を獲得できるのではないでしょうか。そして、考えることによって、今までやってきたことの意味も意識化できるはずです。言葉にできるくらいに掴む、そして共有する。そうやって誰かが意識して残さないと、本はなくなってしまう。」
また、iPadのようなデバイスの登場はチャンスだとも言います。「iPadが出てきたことで、これまで本を買わなかった人が、本のことを考えてくれるようになったと思います。これは、デザインや出版が変わる、良いチャンスです。今、出版業界の人は本を出すのに精一杯で、ちゃんと考えてはいません。しかしちゃんと考えれば、(電子書籍と紙の本とで)棲み分けをして提示することができるのではないかと思います。なんとなく常識と思っていたこと、例えば流通のこと、iPadのようなものが登場しなければ、何も疑問に思わなかったかもしれません。」
そしてミルキィ氏は「生き残るのは、カラダの感覚にそったもの、人との間に空間を生み出せるもの。それを一生懸命やると本がすてきになる。一方、iPadの登場は、パブリッシングの意味を考え直すきっかけになるでしょう。両方すてきなことだと思います」と、紙の本の将来にも、電子書籍にも、大きな期待を寄せていることを話しました。
最後にミルキィ氏は、あるベストセラー書籍の組版について話します。その本は「怖いシーンでは、怖そうな文字が使われている」のだと言います。しかしそれは「お仕着せの書体であり、読む人の想像力を削いでしまう」「とくに本文は、装丁より長く付き合うもの。(想像力を削ぐという)将来に悪い影響を与えるものは、避けなくてはいけない」と、強く語ります。そして「内容にふさわしいものを作るのが、デザイナーの使命」とも。
そのような思いを込めて作られたのが、ミルキィ氏の近著『組む。ーInDesignでつくる、美しい文字組版』(BNN新社)だと言います。InDesign 2.0から使用してきたミルキィ氏が、ブックデザインのみならず、本のボディとも言うべき組版のプロセスを明らかにする1冊です。その本を紹介しながら、ミルキィ氏は「日本語をきれいに組むことができるInDesignは、たいへんありがたい存在」だと話しました。
本というメディアの可能性を信じ、電子書籍の登場を前向きに捉えるミルキィ氏の姿勢に、刺激を受けた参加者も多かったのではないでしょうか。